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書評・感想
ただ「昔に帰れ」的なものではなく、進化したテクノロジーこそ地球の現状を知るために活用すべきという視点がすばらしいと思います。僕たちが何気なく過ごしている普段の生活にこそ横たわっている問題を浮き彫りにしてくれます。
読書メーターでも公開しています⇒『地球の目線~環境文明の日本ビジョン』
以下読書メモです
(P35)
人間を異物として排除した地球エコロジー論ではなく、「人間」を意味ある地球生命系の一環として位置付けなおした文明デザインが、いま始まりつつある。
(P41)
むしろ「成長の限界」とか「資源の欠乏」という言説は、恐怖や不安によって人々をコントロールするための政治的なストラテジーであり、限界を超えていくことを本性とする人類のクリエイティブな能力を過小評価する悪しきポリティクスである、と。
(P52)
さらにこれまで化石燃料に依存せざるをえなかった製鉄業なども、石炭や石油の代わりに太陽光由来の電気エネルギー変換形としての「水素」(水を電気分解して得られるもの)を使って行われるようになれば、私たちの文明を支える社会活動のほとんどすべてが太陽エネルギーの循環サイクルによってカバーされることになる。こうなると数十年以内に”エネルギーはタダ”という世の中が本当に実現するかもしれない。
(P76)
だとすれば、悪いのは「いま何が起こっているか?」をリアルタイムに知らせてくれない情報環境のデザインであり、社会の自己認識(情報フィードバック)を可能にしていない社会設計なのだ。私たちの体のように、いま社会全体で電力消費がピークを超えつつあることがモニターできたとしたら、それに対して反応(レスポンス)することもできる。
(P151)
ガソリンは安いほうがいい、どだれもが思う。だがほんとうにそうなのか?隠れたコストが石油産業への補助金などで埋め合わされているおかげで、ガソリン自体の値段は安く抑えられているが、これらの補助金も元をたどれば私たちの税金から出ている。医療費や(軍事費も含めた)石油確保のためのコストも、結局は税金というかたちで別のところで私たちが負担している。
(P241)
また他方で、コンピュータ技術やAI(人工知能)・ロボットが進歩するほど、さまざまな生物が当たり前のように行っている情報処理、さらには人間の脳やからだのもつ高度な能力があらためてクローズアップされつつある。生物に学ぶ技術(バイオ・ミメティック・テクノロジー)、あるいは人間固有の柔らかさやcreativityをもっと引き出す方向での技術開発への志願が顕著になってきている流れもある。脳のもつ驚くべき可塑性や再生能力も近年注目されており、脳をコンピュータや情報機械になぞらえるような幼稚な見方も影を潜めつつある。
(P243)
しかもこの生命の経済学を支えるのは、太陽の光と水と二酸化炭素というごくありふれた資源。植物は光合成というプロセスを通じて太陽エネルギーを捕獲し、それを糖やデンプンといった有機物に貯蔵する(太陽エネルギーを高分子の分子結合力というかたちに変換して貯蔵)。私たちはこの宇宙からの恵みを、たとえばコメという微小なエネルギーのパッケージのかたちで日々からだに取り込む。デンプンから糖、そして究極的にはATPへと、いわば高分子の紙幣を小銭に崩していくようなかたちで分解し、その過程で解放される結合エネルギー(=貯蔵された太陽エネルギー)を消費することで、私たちの生命の「灯」をともし続けている。
さらに植物はこの過程で、私たちが吐き出すCO²を着々と吸収するのみならず、そこから酸素を分離して、他の生命が使いやすいように酸素を吐き出し、炭素を固定して、私たちにせっせと送り返してくれている(ちなみに有機物とは、”炭素化合物”ということだ)。宇宙スケールでみて、こんなに見事な経済はないだろう。